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小石川1丁目・回廊のある家 [散歩/文京区]

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かつて播磨坂下から柳町に向かう途中にあった3.5階建ての昭和建築。看板建築の民家の上に無計画に増殖したとおぼしきバラックが乗っていて、独特の雰囲気を醸し出していました。基本雑然とした佇まいですが最上階には部屋と部屋を繋ぐ回廊があって、微妙に洒落ているのが見て取れます。これを撮ったのは2004年。1年後には取り壊されてしまいました。耐震性はかなり低いと思われますので残念ですが致し方ないところです。

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ただ乗っているだけに見える母屋との接合部。回廊の屋根を支える柱が廃材っぽいです。外階段は見当たらないので、屋根上の物干し台に登る階段を利用した造りかもしれません。

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裏から見たところ。特徴的な回廊の他にいわゆるトマソン的分類による無用ドアが見えます。壁にも廃材を利用しているせいでしょうか。

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基礎部分に残る煉瓦塀の跡。ほとんどコンクリートで固められ非常に複雑な造作になっています。窓のように見える部分はどういう経緯で出来たのでしょう。
撮影:2004年1月

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鶯谷・鮨若のポップ [散歩/台東区]

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鶯谷駅からほど近く、言問通り沿いにある寿司屋「鮨若」さんの凄いポップ。若干電波を感じさせるくどさですが「活魚」に代表される字面がこの活発な雰囲気と良くマッチしています。色数は赤、青、水色の3色ほどに抑えられ、スミと白地との割合も心地よいので嫌な感じはありません。白地を挟んで色どうしが接することのない反対色の使い方からは作者の確かな美意識を感じさせます。ここには大漁旗のノリが入っているようです。現在このポップは撤去され店はごく普通の佇まいになっています。
撮影:2004年5月
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改修中の御茶ノ水駅舎 [散歩/千代田区]

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JR御茶ノ水駅舎の改修がはじまって早8年経ちます。2018年10月現在ホーム上に建物を作るための人工地盤が出現しました。

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聖橋から見たホーム。こちらからの方がホームの上に張り出した人工地盤が良く見えますね。左手には古く美しい昭和仕様の跨線橋が頑張っています。まだそのまま使われていますが、計画を見るともうじき撤去されると思われます。

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ホームに並行して走る目抜き通りからは歯抜けになった聖橋寄りのこの一角以外、作業の様子は良く見えません。
撮影:2018年10月

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2001年の東京タワー [散歩/港区]

東京タワーの見える場所にと思い、21歳から4年ほど港区の三田の風呂なしアパートに住みました。東京タワーが都内有数のださい場所と分かってからも依然としてその憧れは抱いたままでした。げに恐ろしき幼児期の刷り込み。

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これを撮った2001年の時点でももの凄い昭和感を醸し出す案内所。看板のフォントが肝でしょうか。受付嬢のヒマそうオーラも尋常じゃないです。

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要するに東京タワーの正体は観光地の展望台&お土産屋です。小さい時に郷里の名所、寒風山の土産物屋で初めて味わった衝撃と同じシュールさですが、やはりその物量は圧倒的です。何件も連なるお店はどこも似たような物を同じ値段で売っています。

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タワー型のキーホルダーだけでもこの物量です。クラクラしてどれかを選ばなくてはいけないような錯覚に陥ります。これぞ「幻惑の東京タワー」です。

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もっと昔に主流だった「根性」や「努力」のプレート付きのタワーはこの時あまり見かけませんでした。実は「根性」を買おうと思って出かけたのですが、実際目の前にしてみるとそのチープさと値段の落差に納得がいかず結局買いませんでした。

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打って変わってもうひとつのタワー名物蝋人形館。アインシュタインの黒板はE=mc2以外の式が消されています。おそらくこの黒板にはこの方程式を導き出すための数式がびっしり書き込まれる予定だったと思われます。適当な資料が見つからなかったためいい加減な式を書いて突っ込まれることをおそれてこのような状態になったのではないでしょうか。右に残った数式も何か自信がなさそうです。

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キース・エマーソンとイアン・アンダーソン夢の競演。プログレ好きの館長の嗜好により、ロバート・フィリップだのジャーマンプログレのお歴々だの、なぜこんな人が? というマニア受けするミュージシャンが沢山並んでいました。マニア受けついでにジェネシスを代表してスリッパーマンがいてくれたら最高だったんですが。スリッパーマンって何だ?という方はググってみてくださいね。

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3階の案内板。前近代的な雰囲気に痺れます。何か観光気分で上がった心を沈静化させるような施設が並んでいます。後楽園で暴れていたケムール人に向けてXチャンネル光波が発射されたのはここからということになっています。EDP、CTTは微妙にそれっぽいですね。Xチャンネル光波って何だ?という方はググってみてくださいね。

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外へ出ると夜になっていました。周りはけっこう暗いです。蝋人形館も左端に看板の見える水族館ももう無くなってしまいました。映画「南極物語」の樺太犬タロとジロの像も立川に引っ越してしまったそう。諸行無常。
撮影:2001年7月
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西新宿4丁目 [散歩/新宿区]

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撮影:2003年9月
近年急速に整備が進んだ西新宿、山手通り沿いの15年前の風景。もうすっかり整理されてしまいましたがこの頃はまだ戦後すぐの建物の持つ野趣のある景色が残っていました。変化に富んだ手前の建物群の背後にメカニカルな資本主義の象徴がひたひたと迫ってきます。特に都庁は威圧的で心がない印象。

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左端に見える自転車のおばさんを逃げる人に見立てると、怪獣映画の一場面のようにも感じられます

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巣鴨さざえ堂 [散歩/北区]

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巣鴨地蔵通り商店街の終点近くにさざえ堂があります。大正大学の付帯施設らしいこのさざえ堂、会津さざえ堂とほぼ同じ大きさで二重螺旋の構造もほぼそのままコピーされています。但し最近の建築なので本家の持つ侘び寂びは全く無く、中の階段はLEDのフットライトでまばゆく輝いています(残念ながら内部は撮影禁止)。約3階分の階段を昇り降りしますが窓は目張りされており外が一切見えないため、非常階段を通っただけのような虚しさです。この点も窓のある本家に比べ味がない部分です。敷地の傍らには何故かポップなタコが祭ってあり、ふざけてるのか?と突っ込みを入れたくなります。まあ元々さざえ堂は上がって降りるだけで三十三ヵ所の札所を廻ったことになるというふざけた施設なのでこんなノリもありなのでしょうか。無料で観覧できるのはナイスです。
撮影:2018年10月





正面入り口。突き当たりにある像は3秒毎に明滅します。ふざけてるのか?

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ちらっと右端に見える緑の屋根がタコを祭った祭壇。

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説明書きを見るとこのタコはオクトパス君だそうです。ふざけてるのか?
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死に地アパート若松荘 [散歩/世田谷区]

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撮影:2002年7月
広い道路に接していない土地を死に地或いは袋地という。法的に建物を新築できないのでなかなか売るのが難しかったりする。かつて世田谷にあった若松荘は豪快といえるくらい極端な死に地にあったアパートだ。建物本体は特に変わった所のないごく普通の物件だが、そこにたどり着くには道路から廊下のように狭い通路を数十メートル進まないといけない。塀すれすれに京王線が走るので門の脇には踏切の警報器が建つ。新宿方面に向かう場合、アパートを出てから通路分は反対方向に歩かねばならず、若干いまいましいかもしれない。ググってみると建物本体は既に取り壊され、通路の入り口も閉鎖されているようだがこの通路はまだ残っている。

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彼方に見える四段の階段を登った先が若松荘

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門にはこの手のアパートには不似合いな忍び返しが付いている

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階段から門を見る。郵便受けの数からすると全12室だったようだ
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西池袋ムラサキハウス [散歩/豊島区]

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撮影:2017年11月
自転車で馴染みのない街の路地をでたらめに流してみることがある。迷子になった時のめまいに似た感覚や、突如知っている場所に出る驚きが快感だ。紫色のトタン貼りの壁を持つこの家も、そうやって迷い込んだ池袋の一角で遭遇した。ロール式の庇とオロナミンのポスターから、元は雑貨屋ではなかったかと思われる。それにしてもこんな紫色の家というのは初めて見た。2階バルコニーの白い手すりの可憐なデザインも壁の色と良くマッチしていて素晴らしい。左右一杯にきっちり並んでいいる窓と共に確かな美意識を感じる建築物だ。

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小石川大神宮 [散歩/文京区]

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2018年9月
春日通り、富坂を登る途中を右に入ってすぐの所にある小石川大神宮。佐佐木ビルというビルの中庭に埋め込まれたコンパクトな神社です。近所に越してから毎年大晦日にはこちらに参拝するのが習わしになっていました。佐佐木ビルには数年前からおしゃれな家具屋やギャラリーなどがテナントとして入り、活気を見せていたのですが取り壊されることになったようで既に立ち入り出来なくなっていました。私はてっきり神社のあった場所にビルを建てたのだと思っていましたが違いました。小石川大神宮はオーナーの強い熱意により1970年の竣工時にここに分祀された新しい神社だったのです。小さな神社なのに大晦日にはしゃもじや神棚を配っていたりして、非常に熱心に運営されていたのはそういうわけだったんですね。確か由来を書いたパネルがあったのですがちゃんと読んでませんでした。

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社殿への入り口。建て替えのために神様は向かいの空き地に移動しています


シビックセンターから見下ろした小石川大神宮。コの字型のビルの中庭に神殿造りの屋根が見える

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2008年の大晦日の様子
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1978年・秋田土崎地区点景 [秋田をうろうろ]

1978年の土崎の想い出。自宅から最も近い商店街として親しんだ街角。金子書店や木場模型店等忘れがたい店があった。

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外装はリフォームされて味気ないものになってしまったが今も変わらぬ形を残す土崎駅。

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土崎地区を代表するおもちゃ屋「いわや」。おもちゃ以外にもかき氷や大判焼きなど子供の好物を凝縮したような店だった。末期には何故か大量のセルロイド製キューピー人形が仕入れられていた。リンク先の「高清水小学校」にまとめて画像を上げておきました。併せてご覧下さい。

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土崎中央通りを行く粋なマント姿の老人。場所は千田精肉店の向かい3軒ほど港寄りらへん。左に高砂堂、右にフジタ印房が見える。

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今も元気に営業している洋食の銀水。トマトを使ったイタリア料理系のたいへんハイカラなものを出す店だったように記憶しているが、ググってみると現在はラーメンや和食中心のようだ。この柔軟さが生き残りの秘訣かもしれない。

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撮影場所を忘れてしまったが、2点とも土崎郵便局の並びではなかったかと思われる。
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