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1978年・秋田土崎地区点景 [秋田をうろうろ]

1978年の土崎の想い出。自宅から最も近い商店街として親しんだ街角。金子書店や木場模型店等忘れがたい店があった。

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外装はリフォームされて味気ないものになってしまったが今も変わらぬ形を残す土崎駅。

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土崎地区を代表するおもちゃ屋「いわや」。おもちゃ以外にもかき氷や大判焼きなど子供の好物を凝縮したような店だった。末期には何故か大量のセルロイド製キューピー人形が仕入れられていた。リンク先の「高清水小学校」にまとめて画像を上げておきました。併せてご覧下さい。

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土崎中央通りを行く粋なマント姿の老人。場所は千田精肉店の向かい3軒ほど港寄りらへん。左に高砂堂、右にフジタ印房が見える。

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今も元気に営業している洋食の銀水。トマトを使ったイタリア料理系のたいへんハイカラなものを出す店だったように記憶しているが、ググってみると現在はラーメンや和食中心のようだ。この柔軟さが生き残りの秘訣かもしれない。

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撮影場所を忘れてしまったが、2点とも土崎郵便局の並びではなかったかと思われる。
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空素沼 1980年 [秋田をうろうろ]

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撮影:1980年
最近ヒマなので昔のプリントをデータ化している。1980年の秋田、主に土崎地区の画像をいくつかアップしてみようと思う。まずは今も変わらぬ威容を誇る空素沼から。

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学区内だったこともあり、私にとって高清水の丘は大変なじみ深い場所だ。昔空素沼に嵌まって泣いたことがある。小学3年生の時、6人ほどのクラスメートと遊んでいて、聖霊短大から沼に下る砂のスロープを駆け下りて止まらなくなり沼に突っ込んだ。30代の時に行われた同窓会で、すっかり忘れていたその時の有様を女子に再現されて驚いた。あまりの恥ずかしさに記憶を封印していたのだ。

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この案内板があった正確な位置がどこなのかもうわからない。中央上に見える白い腎臓形が空素沼だと思われる。

水木しげる氏の描く木造校舎 [秋田をうろうろ]

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撮影:1979年
水木しげる氏が貸本漫画家時代に発表した「鬼太郎夜話」を読んでいてあるコマに目が止まった。木造校舎を描いたカットが昔撮った私の出身校である秋田市立高清水小学校の写真とよく似ているのだ。木造校舎の規格が生んだ偶然と思われる。木造校舎で画像検索してみると各地に似た感じのものがあったようだ。とすれば、そっくりな校舎もあるかと思い探してみたが、この絵ほど各棟の配置が似た画像は見つけられなかった。懐かしいこの校舎は80年代に取り壊されて今はもうない。

焼山・水道施設跡 [秋田をうろうろ]

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撮影:2010年9月
秋田市寺内焼山地区にもう何十年も放置されている水道施設。子供の頃この場所に迷い込んだ時は異様な感覚を覚えた。実家の周辺一帯は風致地区に指定されているとのことで、ほとんど開発されておらずこのような異界がたくさんある。

1988・高清水小学校 [秋田をうろうろ]



私が学んだ木造校舎は1988年に取り壊されてしまいました。その最後の姿を納めた動画をyoutubeにアップしました。当時のビデオの規格では撮影時間が充分にとれず、トイレ等撮り損ねたポイントもありますが、卒業生の方には廊下のぎしぎしいう様子だけでも味わっていただければ幸いです。当時私たちが描いた絵が下足置き場に残っているのが驚きです。既に取り壊しが始まっていて、廃棄物の中から荷物かけのフックを頂戴しました。今もキーホルダーとして愛用しています

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毎日ネコノクソ [秋田をうろうろ]

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リズムがあって味のある文章といい何かのパックをばらした台紙の形といい、強い訴求力のある張り紙です。怒っているご本人には申し訳ありませんが、取り乱した中にもどこかユーモアを感じさせるものがあるのも良い感じ

広小路・ホテルハワイ [秋田をうろうろ]

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昔、永六輔氏がエッセイでこのホテルのサービスに文句を言っていました。そのせいでもないでしょうが今年閉館したとのこと。実家があるので宿泊する機会はありませんでしたが、消滅してしまうかもしれないと思ったら、自分にとっては重要なランドマークであることに今更ながら気づきました

高清水・空素沼 [秋田をうろうろ]

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秋田市内、高清水地区に空素沼という沼があります。ほとりには短大、国道からすぐという市街地のロケーション。それが信じられないくらい深山の雰囲気をたたえたこの沼、父母の証言によると昭和30年代には泳ぐことができたらしいです。私が秋田に居た30年前までは釣り小屋なども並んでいたように記憶しています。今は跡形もありません

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隣接する空素沼神社には傾いた小さな祠も付属していて霊場としての迫力にも満ちた穴場です

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