練馬の暴力看板 [散歩/練馬区]
撮影2018年1月
暴力的なまでに押し出しが強い看板。目立つのが看板の使命なのだからそのこと自体は不思議ではないが何事にも限度がある。練馬区氷川台にあるこの看板はとにかく字がでかい。遠くから見通せる環境に立つのならこの文字の大きさも理解出来る。しかしこれがあるのは細い旧街道沿いだ。近くに親戚がいるためたまに通るのだがその度にちょっとしたショックを受ける。一体どういうご商売なんだと思ってしまうがどうも車関係の中古パーツ販売店らしい。
行き先案内板? [散歩/豊島区]
撮影2018年9月
この手の看板の正式名は何というのだろう?いやに昭和の雰囲気を残すこの看板。これを見るとどういうわけか上京したての、東京の風景が珍しかった頃の新鮮な気持ちが蘇る。山手線の駅名が入っているせいだろうか。左は←が看板の形に上手く嵌まっているのに右は対称性が崩れても読みの自然さを優先している。表記を「次は」ではなくて「あっち」にすれば対称にできるかと思うが、それも堅すぎかもしれない。
四谷三丁目のナイスガイ [散歩/新宿区]
撮影:2018年
四谷三丁目の歩道を自転車でゆらゆらと進むいかすTシャツのおじさん。お笑いコンビ流れ星のボケがよくこの手のシャツを着ていたなあ。横倒しの構図がとってもお洒落!ウイルキンソンのメチャ辛いジンジャエールとの組み合わせもナイス。
空素沼 1980年 [秋田をうろうろ]
撮影:1980年
最近ヒマなので昔のプリントをデータ化している。1980年の秋田、主に土崎地区の画像をいくつかアップしてみようと思う。まずは今も変わらぬ威容を誇る空素沼から。
学区内だったこともあり、私にとって高清水の丘は大変なじみ深い場所だ。昔空素沼に嵌まって泣いたことがある。小学3年生の時、6人ほどのクラスメートと遊んでいて、聖霊短大から沼に下る砂のスロープを駆け下りて止まらなくなり沼に突っ込んだ。30代の時に行われた同窓会で、すっかり忘れていたその時の有様を女子に再現されて驚いた。あまりの恥ずかしさに記憶を封印していたのだ。
この案内板があった正確な位置がどこなのかもうわからない。中央上に見える白い腎臓形が空素沼だと思われる。
最近ヒマなので昔のプリントをデータ化している。1980年の秋田、主に土崎地区の画像をいくつかアップしてみようと思う。まずは今も変わらぬ威容を誇る空素沼から。
学区内だったこともあり、私にとって高清水の丘は大変なじみ深い場所だ。昔空素沼に嵌まって泣いたことがある。小学3年生の時、6人ほどのクラスメートと遊んでいて、聖霊短大から沼に下る砂のスロープを駆け下りて止まらなくなり沼に突っ込んだ。30代の時に行われた同窓会で、すっかり忘れていたその時の有様を女子に再現されて驚いた。あまりの恥ずかしさに記憶を封印していたのだ。
この案内板があった正確な位置がどこなのかもうわからない。中央上に見える白い腎臓形が空素沼だと思われる。
小日向・精華寮 [散歩/文京区]
撮影:2011年5月
精華寮は昭和初期に台湾からの学生を受け入れる為に台湾総督府によって建設された。この建物が健在だった30年ほど前に一度入ってみたことがある。内部は中庭の周りをぐるりと廊下と各戸の玄関が取り囲む中国式のアパート。屋上の乱立するテレビアンテナは香港の九龍城を思わせる。当時は現在ほど他人に対する警戒が強く無かったので、近隣の大塚女子アパートメントも二度ほど探索させてもらった。その時は単に古い建物好きというだけでその背景などはまったく知らなかった。どちらも見たことの無い住環境にとても驚いたものだ。精華寮は情報2007年火災によりご覧の状態になり、2013年解体された。
水木しげる氏の描く木造校舎 [秋田をうろうろ]
撮影:1979年
水木しげる氏が貸本漫画家時代に発表した「鬼太郎夜話」を読んでいてあるコマに目が止まった。木造校舎を描いたカットが昔撮った私の出身校である秋田市立高清水小学校の写真とよく似ているのだ。木造校舎の規格が生んだ偶然と思われる。木造校舎で画像検索してみると各地に似た感じのものがあったようだ。とすれば、そっくりな校舎もあるかと思い探してみたが、この絵ほど各棟の配置が似た画像は見つけられなかった。懐かしいこの校舎は80年代に取り壊されて今はもうない。
ジャーマンホビードラ [散歩/渋谷区]
撮影:2015年4月
仕事で時々訪れる小田急線代々木公園にある老舗の模型店、ジャーマンホビードラ。モデルアートの広告欄で1960年代から秋田の小学生にもその名前は知られていました。元々喫茶店だったと思われる店内は人の立てるスペースはごくわずかで、プラモデルの箱で埋め尽くされています。一見さんを寄せ付けない雰囲気ですが、渋い飛行機模型に特化した超専門店なので多少模型店馴れした当方もこの店は緊張します。東京の古い模型店が次々に閉店する中、奇跡的に残っている昭和のプラモデル屋として貴重な存在です。
御茶ノ水女子大・徽音堂 MMG公演 [散歩/文京区]
撮影:2015年4月
2015年4月11日、御茶ノ水女子大講堂で公演中のMMG販「Shall We ダンス?」を観てきました。MMGは様々な大学・専門学校生から成るミュージカル・サークルです。それ以上の事前情報はほとんどありません。宝塚歌劇団の演目を再現するのがテーマのサークルとお見受けしました。観る前は学生さんの無料イベントということで素人っぽいものを想像していたのですが大間違いでした。素晴らしい完成度!歴史のある荘厳なホール、訓練された踊りと歌、美しい衣裳、ヘッドセット使用のみごとな音響、清楚さと華やかさの絶妙なバランス、等々こちらの先入観は思い切り打ち砕かれました。「Shall We ダンス?」が映画版を含めて初見だったせいと楽曲の良さに不意打ちをくらった感じで感動してしまいました。最高です。校内で飼われているとおぼしきニャンコ先生にも会えて、非常に充実したひとときを過ごさせていただきました。
飛鳥山公園・クレル人住居 [散歩/北区]
撮影:2014年1月
北区飛鳥山にはクレル人住居があります。クレル人というのは1960年代のSF映画の傑作「禁断の惑星」に出てくる超文明を持つ宇宙人です。出てくるといっても実際に姿を現すことはありません。太古の昔に滅亡した彼らの遺跡からその体型を類推するだけ、という想像力を強く喚起する物語になっています。その遺跡に残るドアや通路がこのような5角形というわけです。そういえば太古の代表的テレビゲーム「スペース・インベーダ−」にもこんな形の宇宙人が出てきましたね。床にに散らばる物体からは、クレル人がかっぱえびせんを食べていたことが分かります。